2022年08月07日

温和な静岡県人でも妥協しません!

旧盆のころ、毎年思い出すことがあります。

平成時代の事です。母が病気で亡くなり、その数年後、一人暮らしの父が自宅で倒れました。異変を感じた父は自ら救急車を呼び、その後意識を失いました。入院中に心臓が突然止まり母の元へ…
主を失った草薙の自宅は姉妹で塾考のうえ売却。両親の思い出を休みの日に出かけては片付け、家に別れを告げる前に、両親の友人や親族を招いて食事会をしたり、精一杯のことはしてきたつもりです。

さて…故人の銀行口座は凍結されてしまいますので書類を整えて口座を閉め、保険などの手続き用に静岡に在住する私の名前で、一時的に口座を作ることになりました。

仕事柄アクセスのいい場所でと、大手地方銀行の口座を開設しました。手続きが終わり、自宅に戻るとキャッシュカードが自分のものと同じ絵柄で作られています。混乱のないよう、わざわざ通帳の絵柄を変えて手続きしたのに、カードは通帳の絵柄と違うものでした。
資料を読み込むと、カードも絵柄を選べると書かれています。銀行に速攻で戻り、混乱するので、絵柄を変えて欲しいとお願いしました。

テラー 『もう、手続きが完了しているので、変えられません』 と機械的な返答。




私 『えっ? でも、どちらにしますかって聞いてくれませんでしたよね。最終確認の時も、カードについては何もおっしゃらなかったし、混乱を避けるために、今持っているものと違う柄にしたいと言いましたし…』

しかし、先方は自分の非を認めず、できませんの一点張り。どうしたら、カードの絵柄を取り替えられるか聞くと、口座を新たに開設すれば、別の絵柄が入手できますとのこと。テラーのオバちゃんのあまりの迫力に、一旦帰宅。

お茶を飲みながら、もう一度考え、数十分後に3回目の来店。

私 『残念ですが、納得がいかないので解約します』
テラー 『あっそうですか…』

手続きを待つこと15-20分、名前を呼ばれ窓口に行くと、テラーではなく背広姿の男性職員が3名ほど立っています。
『何か問題がありましたでしょうか?』 その奥でオバちゃんテラーが (`・ω・´)フンッ という顔で別の仕事をしている様子です。
事情を説明し、相続したものと、自分自身のものとを明確に分けるために、自分以外がカードを持つ可能性もあるので、絵柄が違うものが欲しかったこと、小さいことかもしれないが説明が無かったこと、会話の中から配慮が無かったこと、謝罪が無かったこと、だったら解約しかないと言われたので、解約したいと伝えました。

和

副店長 『おっしゃる通り、一旦カードを作りますと、変更が効きません。口座を作り直すということで、如何でしょうか?』 と、静かな口調で提案してきました。←だったらその時点で言えよ!

私 『いえ、この口座は今でこそ1000円程度しか入っていませんが、今後、父の生命保険金・売却する自宅代金・父の企業遺族年金他が振り込まれるので、杓子定規な対応の銀行さんには、相談もしにくいし、お付き合いができないと思い、解約します。家の売却益だけでも5000万円を超えますし…』

大きな声で、更に金額を盛って、そのテラーに聞こえるように言いました!ほぼ全員職員が私の方に振り向きました。

手続きが済み、返金された1000円を握りしめ、同じ銀行(笑)の別の支店へ直行。その店舗では、待たされることもなく、スマートに手続きが済みました。口座開設の理由を聞いたテラーさんは、キャッシュディスペンサーで大きな金額を下すときの注意点なども付け足して説明してくれ、とても助かりました。

銀行だけでなく、様々なシーンで対面対話が少なくなっていき、顧客側の責任で操作して手続きすることが増えました。ちょっとした配慮や気配りは、更に大切なサービスとなっていくんだろうなと思うのです。

私は、人にやさしくいたいと願うし、努力したいと思います。しかし、絶対に妥協はしたくありません。静岡県人をナメんなよ!

【追記】
後に、同じ銀行に勤めていた知人にその話をしたところ、大爆笑していました。お局テラーは何もなかったかのようにお勤めされていたそうです。さすが地元の大銀行にお勤めだけあって、接客以外の業務に長けていらっしゃったのでしょう…  

Posted by シゲゾウ at 11:31ひとりごと

2022年02月25日

戦争絶対反対

昭和47年・月刊少女マンガ「りぼん」の付録に、当時連載されていたバレエマンガ「アラベスク」の特集別紙が付いていました。(探していたら、ヤフオクに出展されていて驚く…)
主人公はロシア(ソビエト)のバレリーナのノンナが才能を見出され、たしかレニングラードバレエ団を舞台として成長していくストーリーだったと思います。(バレエ版・エースをねらえ的な話)

その雑誌に、当時ソビエト連邦共和国「キエフバレエ団」の公演チケットの懸賞が載っていました。母に頼んで、応募しましたが当たる確率は低く、一枚当たっても、まだ一人で電車も乗れない子供が夜の上野公会堂まで行けるわけもなく…両親は相談し、なんと!当時ベラボウに高かったチケットを、母と姉妹2人分、入手してくれたのでした。
美しいコールド、道化の跳躍力や、黒鳥のピルエット…もう、観るものすべてが感動的でした。
私の浅い知識でいうと、マリーアントワネットが処刑されたことでも有名なフランス革命
後、著名な芸術家がロシアに渡ったことで、ロシアバレエが花開くことになったと理解しています。
戦後、ソビエトと国交が回復したのが、昭和30-31年(?)ごろ。その後、文化交流として日本にバレエ団が公演に訪れるようになり、しかしながらチケットは高額で、なかなか目にすることが出来なかった時代でした。






後に、ソ連は崩壊し、キエフは独立したウクライナ国の首都となります。



初めて見たバレエのパンフレットは、今も大切に保管してあります。母に何回も、解説を読んでもらいました。
キエフは文化的な素晴らしいところとずっと思っていました。ロシアとの関係も兄弟のように仲がいいと信じていました。

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【戦争、絶対反対!】
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これでは、今まで築き上げてきたものが、文化も含めすべて崩壊してしまう






  

Posted by シゲゾウ at 11:33ひとりごとフィットネス&ダンス

2020年03月24日

東急セミナーBE

東急電鉄株式会社のいち事業部からスタートした、東急セミナーBE渋谷。私がBEを知るきっかけになったのは、東京・原宿にあるお洒落なスタジオでのこと。月に数回、最新のフィットネスダンスを習得するために、レッスンを受講しに上京していたのだ。たしか、父は東京、妹たちはまだ高校生で…その後、それぞれ関東圏の大学に進学し、母も切りのいいところで旧清水市の公立中学校事務のパート勤めを辞め、父と同居するために引っ越しをして、私は静岡に自宅の管理人として一人取り残されたという、一年ごとに目まぐるしく生活が変わっていた時期です。

女性二人組に声を掛けられました。「貴女、とても素敵に踊っていたわね!先生を何処かでしていらっしゃるの?」
会話ははずみ、渋谷の東急プラザの中にあるカルチャースクールの開発・企画をしているとの事で、「うちの教室でイベントがあるから、是非きて!招待するから…」
それから交流が始まり、著名なダンサーやミュージシャン・文化人・大学教授の講座を多岐にわたり開講している東急セミナーBEの虜に。企画をしている女性たちのキラキラした姿に憧れ、時は流れ、その仲間になったのでした。

憧れた女性たちと裏方を学び、様々な文化人との交流。東急セミナーBE渋谷で過ごした時間は貴重な学びの場となったことは言うまでもありません。それを礎に今があります。…時は流れ、色々な経緯から生活の場はまた静岡に戻り、縁あって総支配人からお声を掛けて頂き講師に登用され、現在に至ります。



この度、東急セミナーBE全店舗が閉店することになりました。この講座に注力してきたことは、受講者の皆様ならきっとお分かりいただけると思います。一人一人に丁寧に対応し、メンバーシップ制のスポーツ施設とは違う、講師や受講者同士のコミュニケーションだけではない、そこへ行けばプラスαの何かが楽しめる場であるよう心掛けてきました。
それを感じ取ってくださる生徒さんにも恵まれ、動く講座としては盛況です。ここ数年で改装工事もしていますので、長きにわたりレッスンができるホームのような気持でいました。

しかし、東急電鉄は2019年に鉄道事業を分社化(東急セミナーBEも既に分社化済)し、東急線駅構内の売店「toks(トークス)」もほぼローソンに。変化は続く。私たちも変わらないといけない。

過去、ブラザー販売株式会社が直営するフィットネスクラブHOW'Sを全て廃業するさい、静岡店のアドバイザーとして同社の運営するブラザー文化センター(ミシン・編み機を中心としたカルチャースクール)へ、ダンス・フィットネス講座として先生と生徒の引っ越しを決行(当時、静岡店だけは黒字だった)。更にその数年後には文化センターも廃業することになり(その時点でも静岡店は黒字だったが)、HOW'S当時から面倒見てきた先生・生徒を別のカルチャースクールに引き取ってもらい、講座として生き残る事ができています。

そんな事を経験してきたからか、「廃校するまで、皆さんが楽しめるよう頑張ります」という言葉に、仰天した。

「ちげーよ、てめーらのやるこた、引き続き、今の受講者さまの生涯学習の場を作りだしてあげることと、貢献してきた講師の教室探しだろがっ」
鏡なんて少しくらい汚れていても我々が拭くから、「ああ、やっぱり東急で良かった」と思える「卒業」をさせることが仕事だろう???と思うのです。
目の前にある仕事を指示通りするだけでは、クリエイティブな創造作業なんてできない。失敗や叱責を恐れずに、新しい事にチャレンジしなくては、長い目で見れば残念な結果になっていくに違いない。



さて、私は…
皆さんがこれからも、ふんわりとしたコミュニティーを保ちながら、身体と心の健康を保てる教室を続けられるよう、過去の経験を生かして存続させていきたいと思っています。

みんな、心配しないで!  

Posted by シゲゾウ at 12:31ひとりごと

2016年08月15日

「eしずおか」からこんにちは!

フィットネスとダンスの何でも屋さん、鈴木しげここと、シゲゾウです。少しづつ、アップしていきますので、よろしくね♪




  

Posted by シゲゾウ at 19:12ひとりごと